静岡保守の会|会報11月号

 先日、日台親善を目指す人達とツアーで台湾の二二八記念館に行って参りました。

 日本の敗戦後、台湾に中華民国軍が進駐して来ました。当初は同胞と思って歓迎した台湾の人々ではありましたが、日本軍が軍規厳しく、清廉であったのに較べて賄賂・略奪・暴力をほしいままにする蒋介石の軍に、たちまち反感を持つように成りました。

有名な実話ですが、水道の蛇口から水が出るのを見た大陸の兵士が、蛇口を買って壁に挿しても水が出ないと怒って売った相手を撃ち殺すなど、台湾人から見ると大陸の兵隊はまことにお粗末なものでした。

一九四七年二月二七日、台北の路上で闇タバコを売る四十歳の女性が、官憲にタバコばかりでなく所持金までも奪われ、抵抗するとその頭部を銃で撃つという事件が発生しました。

それを見て怒った群衆に警官たちは発砲し市民一人が死亡しました。
翌日二八日、台湾全土で抗議の集会、政府への請願運動が始まりました。これに対し国民党政府は徹底的な弾圧を行いました。大通りの現在もあるビルのバルコニーに機関銃を据え付け、群集に発砲し、エリートと呼ばれる知識人、政治家、医者、教育者、法律家を次々捕らえ、拷問の上、数万人を処刑していきました。手のひらと足首に針金を通して数珠繋ぎにし、機関銃で撃ち殺したと言うのはこの時の事です。

大陸から来た国民党軍を外省人と呼ぶのに対し、台湾人を本省人と言いますが、この時本省人たちはラジオ放送局を占拠し、軍艦マーチをかけ「かならず日本軍が我々を救いに来てくれる、それまでがんばれ」と放送をし続けたのです。

中華民国総統に李登輝氏が就任し、二二八事件が公に語られるようになり、一九九七年、事件五十周年を記念し当時のラジオ放送局の建物に「台北二二八記念館」を設けました。

次の陳水扁総統の時期に来たと言うこのツアーのガイドによると、この記念館のボランティア達は皆大変な親日家で、当時の軍艦マーチのレコード盤や、当時掲げられていた旭日旗を大きく展示してくれていたそうです。また国民党軍兵士の残虐さを身をもって体験されていて、ここを訪れた観光客は、みんな涙を流さずにはいられなかったそうです。そういう予備知識で向かった我々は、大変なめに遇う事になりました。

日本語の解説ボランティアに、時間が無いので全部を四十分ほどで説明してくれと頼んだところ、いきなり最初の十分間ちかく、日本が台湾を植民地にしたこと、日本が善い事もしたと言う人が居るけれども、それは世界中が見ているので嫌々やったのだと云う事、二二八事件の原因は日本が統治したせいだと話し始めました。おとなしく聞いていた一人が、「そんな話を何故日本人に向かって言うんですか、台湾が親日ということで観光に来ているのにそれじゃあ日本人が来なくなるでしょう。そんな話を聞きたくない」と抗議しました。別の一人が「二二八事件に日本の統治は何の関係もない、出鱈目を言うな」としかりつけてもこの五十がらみの女性ボランティアはへらへらとするばかりでありました。

 皆が呆れてどんどん先に進むうちに、一人が「あなた二二八事件についてどんなことがあったかほんとに知っているんですか、李登輝さんや蔡焜燦さんの本を読んでみなさいよ」と問いただすと「私は大学に行きました。本も読みました」と言う。本の内容について話をするうちにとうとうそのボランティアが「わたし、本、読んでません」と言い出した。たまりかねたツアーのひとり(女性)が、「あなたの日本語は助詞がめちゃくちゃで、日本語世代のおじいさんや、日本人相手のお店の店員よりひどいです」と言い出した。そこまで言われてもこのおばちゃんはショックを受けるでもなく困った笑い顔をしていました。

 この出来事で、悪びれない支那人にはその都度その都度、論破していくべきことを感じました。またこのボランティアの態度から、公衆の前でやり込めたら可哀そうだと思う必要がないことも。

反日の馬英九政権の時代に展示物が殆んど入れ替わったと言うことで、このあと台湾人であるツアーガイドの方は、「蔡英文さんが総統になってまだ半年しか経っていないので、記念館の展示にまで手が回らないんでしょうね、私たちの方から、展示の内容やボランティアを入れ替えるよう蔡英文さんに伝えます」と言っていただけました。




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