静岡保守の会|会報2月号

保守の会では、殉国七士の墓参(三ヶ根山)を四月八日(日)に、計画しています。

参加者募集中なので私のところまでメールでお問い合わせ下さい。
これに関連して、田村由美子さんから七士の遺詠を教えて欲しいとの依頼がありましたので当時のBC級及びA級戦犯死刑囚の教誨師を務めた花山信勝氏の著書「平和の発見」副題『巣鴨の生と死の記録』から一首づつ抜書きしました。

BC級戦犯の処刑が先に行われていましたが、その遺骨は家族に帰されること無く秘密裏に捨て去られていましたので、花山氏は七士に爪と遺詠を残すように薦めました。

このうちただ一人、廣田弘毅は「公の人として仕事をして以来、自分のやったことが残っているから今さら別に申上げることはないと思う」と言って遺詠を遺して居りません。

以下、遺詠
土肥原賢二
  法悦に随喜しつつもさりながら今よりと聞いて心をどりぬ
東條英機
  今ははや心にかかる雲もなし心豊かに西へぞ急ぐ
板垣征四郎
  とこしえの平和のために身を捨てて糞土を黄金にかへる嬉しさ
木村兵太郎
  礎はいよいよ固く鎮まりて建ちゆく国を護りませ君
松井岩根
  いきにえにつくる命は惜しかれど国に捧げて残りし身なれば
武藤章
  数ならぬ身に光栄の極みかなとはの平和の人柱とは

 遺詠は一首ではなく、また各人の趣味で俳句、俗謡、漢詩を遺しております。すべて「平和の発見」に掲載されていますが、印字が薄く、また紙質が脆いのでコピーの配布などができませんので御了解下さい。

靖国神社戦犯合祀に関連して、「廣田弘毅はキリスト教徒であり、遺族が靖国合祀からはずして欲しいと望んでいる」という話を週刊誌などで散見しましたが、実際には全員仏教徒であり仏教による教誨を喜んでいたと言うことでした。

全員が仏法の法悦に浸り、日本の再生を祈って従容として絞首台に上がったとのことです。廣田弘毅のみが文官で処刑の可能性がひとり薄かったことなど、左翼に利用される余地があったのかもしれませんが、絞首台に向かうに際して「バンザイ」をやりましょうと言って(先に処刑された土肥原、松井、東條、武藤が天皇陛下万歳、大日本帝国万歳を三唱をし、それを廣田が聴いていた)板垣、木村をうながしたのは廣田でありました。
                           おわり




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