対馬旅行記 2日間 2018.04.11~13:静岡保守の会HP寄稿

ー対馬旅行記 1日目ー

対馬上陸。いきなり出逢った島の国士

4月11日。上陸した対馬は小雨が降っていました。レンタカーを借りてわずか3分。

ショッピングセンターや対馬の官公庁が並ぶ下馬場筋通りに出た途端、目の前に旭日旗が現れました😲?? そりゃあもう驚きました。

旭日旗と「憲法を改正し日本を守ろう!」と書かれたのぼり旗を1本の竿に掲げて歩いていた方はご老人のようでしたが、いったい何者か判りません。不安もありましたが、思い切って話しかけてみました。

この方は、桐谷勝(きりたに まさる)さんとおっしゃり、お話からすると戦中のお生まれで、お父様を支那大陸で亡くされたことから遺族会員でいらっしゃる他、靖國神社崇敬奉賛会の会員で靖國には何度も通っていらっしゃるとのこと。日本会議長崎対馬支部にも入られていて、まさに地元の保守の方でした。(ご本人の了解をいただいて、お名前もお顔も公開させていただきました。)

雨の降る中、車の中でいろんな話を聞かせていただきました。

特に面白かったのが、日教組の話。中学校の英語教員になられて日教組にも入られたのですが、デモや集会に参加して、どうも違うと思った桐谷さんは日教組の事務所に行って退会届を叩きつけて来られたそうです。昭和42年頃のことだそうです。

今でこそ組織率が低迷してきていて、さまざまな価値観が許される時代になりましたが、今から50年も前に単独で行動されるなんて勇気があることだと思いました。

それもこの対馬でのお話です。その後奥さんは、周囲の方から組合をやめて大丈夫かと心配の声を掛けられたそうです。

明るく気さくにお話をして下さる桐谷さんとすっかり意気投合した私は、ぜひ一緒に街宣をやらせて下さいと申し出ました。桐谷さんはとても喜んで下さり、実は幟旗がもう一本あるからこれからいっしょにやろうと言って下さりました。

いつの間にか雨も止み、桐谷さんの原付バイクの後についてご自宅まで行きました。大通りからわずか5分ちょっとの小高い丘の途中にあるお宅の庭には、3メートルを超えるような高い竿が立っていて、そこには日章旗と旭日旗がはためいていました。玄関にはもうひとつの幟旗「対馬の盗難仏をすぐ返せ!!」が掲げられていました。おおっスゴい😲??


↑ 桐谷さんのご自宅に掲げられた旭日旗と日章旗

対馬の官庁街を日の丸行進

さて幟旗2本を持って再び大通りに戻った私たちは、複合ショッピングセンターの対馬市交流センターから官庁街を街宣行進しました。

桐谷さんはこの活動を、雨が降らない平日、ほぼ毎日続けられているとのこと。通りを歩いていると、にっこり笑って下さる方が何人もいらっしゃいました。

みなさん、桐谷さんがいつも通られることをご存じなんですね。まさに対馬の名物おじさんです。今日はそれに見慣れないおじさん(私😅)も加わって、賑やかに思われたことでしょう。

私はふだんの自分の街宣スタイルで、道行く人や車に向かって手を振ったりあいさつをしたりしていたのですが、これには桐谷さんが少し驚かれていました。桐谷さんはいつも黙々と行進をされているそうです。

私は、保守の活動は一般の人たちを取り込んでいくことが必要だと思っていますと言いましたところ、桐谷さんはナルホドという感じで受け止めてくれました。

一方私が驚いたのは、桐谷さんはただ行進をするだけでなく、見かけた公共機関で日の丸が揚がっていないと建物の中にまで入って職員さんに旗を揚げるようにお願いをされていることでした。

この日は雨上がりということでどこも旗が揚がっていませんでした。それはある意味で仕方のない状況だったのですが、私は桐谷さんに付いて、長崎県対馬振興局、対馬南警察署、裁判所の3カ所でお願いをしてきました。

桐谷さんにとっては日課のようで、対する職員さんも快く対応されていました。こうしたことも毎日の継続ですから素晴らしいですね。強い信念がなければ続けられるものではありません。


↑ 対馬市交流センターの前から出発する前の、桐谷さんと私

途中、八幡宮神社に寄ったりして1時間半の街宣活動を終えて、ご自宅に戻りました。奥さまからコーヒーをいただきながら、来月、熱海の興亜観音(A級戦犯とされた殉国七士が祀られている)に行かれるといったお話をお聞きしました。

お互いに名残りを惜しみながら、昼過ぎにお別れをしました。対馬旅行の最初、素晴らしい出逢いをさせていただき、次の出逢いに胸を膨らませました。

(追記)
その後、保守の会のメンバーからも興亜観音に行きたいとの声が上がり、熱海で桐谷さんと合流して参拝することになりました。この話も後日ご報告できればと思っています。

交流センターの朝鮮通信使展とお掃除おばさん

取りあえず歴史のことを学んでおきたいと思ったので、ネットで博物館や資料館を探しました。「対馬歴史民俗資料館」という施設が見つかったのですがちょうど建て替え中で今はないとのこと。

代わりに複合ショッピングセンターの中の対馬市交流センターの一部に仮設展示がされているということでしたので、そこに寄ってみました。

内容的にはそれほど多くはなく、古い絵巻物の複製などが置いてありました。

同じ建物の別の階に「ユネスコ記憶遺産登録記念 対馬に残る朝鮮通信使記録展」というコーナーがありました。ここもそれほど多くの資料はなかったのですが、朝鮮通信使の行列を描いた絵巻物などがありました。

通信使の衣装が展示されていましたが、韓流歴史ドラマの嘘について知っている自分には、合成繊維で作られたカラフルなその衣装を見て、ホンモノは残っていないのかと愚痴りたくなりました。


↑ 朝鮮通信使記録展。鮮やかな衣装がかえってもの悲しい。

複合ショッピングセンターでの展示にはいささかガッカリしたのですが、収穫もありました。館内で見かけたお掃除のおばさんに、ちょっとお声を掛けてみました。お掃除のおばさんはおトイレも含めていろんなところをお掃除されていますから、韓国人観光客のナマの姿をよくご存じじゃないかと期待したのです。

「かんこくさん」お掃除のおばちゃんはそう言います。「韓国産の何?」って首を傾げたあとで「韓国さん」だと気がついて合点がいきました。

韓国人観光客のマナーの悪さにはほとほと手を焼いているらしくて、一時は今よりもひどかったそうです。最近になって良くはなってきたけれども、ひどい人たちもいる。旅行添乗員さんからの指導がしっかりしている団体はいいけれども、指導が緩かったり客側のマナーがひどすぎる場合もあってときどき苦労することもあるとのこと。

「韓国さん」は土日にどっとやってきて、平日は比較的少ないので、曜日によってショッピングセンターの売上も大きく変わるそうです。

実際「韓国さん」なしではやっていけない状況で、日本人観光客に戻って欲しい、と嘆いていました。ただ、そうは言いながらも、「韓国さん」と屈託なく呼んでいることばにはトゲはなく、ひとつの現実として率直に受け入れている様子でした。

この他に、泊まったホテルのレストランの従業員さんにもお話をお聞きしたのですが、やはり同じようなお話をされていました。

自分たちはお客さまのために精一杯のおもてなしをする。そのひたむきな態度を見て、対馬の人は、やっぱり私たちと同じ日本人だと思いました。

でも一方で対馬が元寇などで朝鮮半島からひどい目に遭ってきた歴史もいくらか勉強したので、極めて悲惨な経験をしていながら、なぜそんなに呑気でいられるのか、ガッカリな気分にもなりました。過去を簡単に水に流してしまうところも、よく考えてみれば日本人らしさなんですね😩

西海岸はゴミだらけ

対馬には韓国などから大量のゴミが漂着しているという話を、ある方から聞いたことがあります。そこで事情を伺いに対馬市役所に行ってみました。

突然の訪問にも関わらず、環境政策課主事の川上さん、そして課長補佐の阿比留さん、おふたりがカウンターまで出てきて下さり、私の話を聞いて下さりました。

私が「ボランティアでゴミ拾いをしたいのですが」と言ってみたところ、ゴミ袋を用意して下さりました。なんだかボランティアを支援する制度があるらしいです。

観光客なので北部と南部の両方で景色のいいところに行ってみたいとお願いしたら、木坂と小茂田という2つの地区を紹介していただきました。

(Wikipediaには、対馬の項目の 社会問題>ゴミ問題 のところに書かれています)

対馬について(Wikipedia)

北部の木坂地区に着いたのは既に夕方でした。

いやぁ、市役所職員さんのお話通り、海岸線沿いに延々とゴミが打ち寄せていました。14袋のゴミ袋をいただいてきましたが、こりゃあとても足りないどころか、あっという間にいっぱいになってしまうと思いました。

てきぱきやればそれほど時間は掛からなかっただろうと思いますが、写真を撮ったり、このゴミはどこから来たのだろうなどとゴミをまじまじと見たりしながらやっていたら、結局7時前くらいまで掛かってしまいました。


↑ 西海岸(木坂地区)に連なるゴミの堤防(苦笑)。

ハングルや中国語の包装ゴミもたくさんありましたが、自分の見たところでは日本語のゴミのほうが圧倒的に多い気がしました。

また包装や容器も多かったですが、それよりも漁具のほうがずっと多かったです。漁具は大きくて嵩があるので、ゴミ袋がすぐにいっぱいになってしまいました。

そんなわけで、日暮れまでゴミを拾ってレンタカーに載せて、対馬の一日目は終わりました。

(追記)

この記事を一度書き上げてFacebookに投稿し、最初に街で出逢った桐谷さんにも印刷してお送りしました。すると、漂着ゴミについてお返事が返ってきました。対馬の海岸に漂着している日本語のゴミの多くは韓国人観光客のものだとのこと。

彼らはマナーが良くないので、食べ残しや釣り餌の残りなどを平気で海に捨てるのだそうです。市がハングルの看板を立てたり旅行添乗員が指導したりしているようですが、なかなか守ってくれないとのことでした。

つづきは、2日目をお読み下さい。

ー対馬旅行記 2日目ー

仏像が盗まれた神社はていねいに管理されていました

2日目の朝は、対馬市役所から始まりました。
環境政策課に行って、昨日集めた海岸のゴミを渡しました。今日もゴミ拾いができそうだったので、ゴミ袋を20枚いただいて出発しました。

さて今日の最初の目的地は韓国に仏像を盗まれたお寺です。スマホで調べたら海神神社というところで、場所はなんと昨日の夕方にゴミ拾いした木坂海岸のスグそば。計画性のない自分に呆れつつ、日差しの眩しいお昼どきに木坂海岸に着きました。ホントは通り過ぎても良かったのですが、ちょうど遠足で来ている中学生と思われる子供たちがたくさんいたので、ちょっと話しかけてみました。

ゴミが堤防のように溜まっている浜辺にいた子供たちにゴミについてどう思うか聞いてみたところ「毎週1回、通学時にゴミ袋を持って登校している」と話してくれました。

自分も子供の頃通学路のゴミ拾いはやらされた記憶がありますが、毎週というのにはビックリ。素晴らしい取り組みだと思いました。

女性の先生が通りかかったので同じように質問をしてみました。

すると「ゴミは韓国からのものが多い。韓国人への感情は、仏像盗難のこともあり、友好と反感の両方に分かれている。」とのことでした。ここでも地元の方とお話ができて、しかも元気な子供たちの顔が見れて、自分も元気になれました。

仏像が盗まれた海神神社は、木坂海岸から歩いてもすぐのところにありました。神社なのに仏像?って思ってしまいますが、日本は昔から神仏習合でしたから、当たり前のことなのですよね。

海神神社について(Wikipedia)

対馬仏像盗難事件について(Wikipedia)

最初の鳥居をくぐって左手の社務所には御札とかが売られていたのですが、だれも居られませんでした。参道を進んで2つめの鳥居を超えると階段が始まります。かなり登ったところに3つめの鳥居があり、その奥に本堂が見えました。

社務所に人を置くことができないほど寂れた神社なのですが、本殿もその周辺も参道もきれいにされていて、比較的良く管理されていると思いました。

そして本堂の前に立ちました。祭壇の手前には菊のご紋が大きな額に飾られていて、この神社が皇室を敬っていることがよく分かりました。太古の昔からこの神社と対馬の島を御守りしてくださっている神々様に御礼を申し上げた後、振り返ってみて更によく分かりました。


↑ 海神神社の本殿。住民がきちんと信仰されているのが感じられた。

ここからは朝鮮海峡が見えるのです。参道の両側の木々が茂っていて天気の具合も良くなくて朝鮮半島は分かりませんでしたが、雲がなくてよく晴れていればきっと見えるはずです。帰りに参道を降りていく途中で、木坂海岸の公園で遊ぶ子供たちの姿が見えました。神様がこの子供たちを守って下さっている。そう思うと、ありがたい気持ちになりました。

そして、この神社をずっと大切に守り続けておられる神主さんや地元の方々のことを思うと、新羅で作られたとはいえその仏像を大切に守り、拝んできたであろうことが自然と慮られました。それだけに、その仏像を盗んでしかも施設の中にしまい込んで拝みもしない韓国の人々、韓国という国はいったいどれだけ罰当たりなのだろうと、悔しくも悲しく思いました。

海上自衛隊基地に隣接する韓国系宿泊施設

2日目、もうひとつの大きな目的地は、自衛隊施設の隣接地に建てられた韓国資本によるホテルを見ることです。これは、海上自衛隊対馬防備隊本部というところにありました。

対馬防備隊について(Wikipedia)
(Wikipediaには、対馬の項目の 外交問題>韓国資本の土地買収問題 のところに書かれています)

対馬について(Wikipedia)

(ネットで検索すれば、下記の記事の他、けっこうたくさん出てきます)

ぼやきくっくり | 韓国化が進む対馬!外国資本による土地買収を規制できない国!まずは自治体で条例を! 「正義のミカタ」より

問題の概要はこうした記事や書籍を読んでいただければよくお分かりいただけると思います。

さて、実際に行ってみたところ、自衛隊の敷地はややこじんまりとした建物と、水上艇などが乗り上げるように上陸できる斜めになった港に別れていて、その間を一般道が通っていて、その奥に3軒の韓国資本の宿泊施設と数軒の民家がありました。


↑ 手前が基地の敷地。奥の建物が韓国系宿泊施設。

とても静かな入り江です。

その一般道を車で通っていくと韓国系ホテルのとなりの民家の前の海岸で話をしている方が2名いらっしゃいました。私が車を降りて声を掛けると、男性の方が返事をしてくれました。

自衛隊施設に隣接の韓国系ホテルの話をするとよくご存じで

「あれは国がたった5,000万円をとっとと出さなかったからこうなってしまったんだ。後から騒ぎ始めたけれど、それではもう遅い。」

と半分あきれたように話されました。この方は地元の方で、ここの韓国系ホテルで働いている従業員も地元の人間だと話してくれました。

「近くに200室の韓国系ホテルができる予定で、朝鮮戦争が再び起きて2万人の韓国人が対馬に逃げてくると心配している人もいるが、この狭い島にそんなにたくさんの人は収容できないよ」

と言っていました。

また対馬の漁業に対して不満も語っておられました。

「昔はみんなハマチの養殖をやっていたが、病気になると生け簀全部のハマチがあっという間に死んでしまう。病気の予防に高い薬を買わねばならず、全然儲からない。それで首を吊った人がこの部落でも何人もいる。いまこの辺りでやっている生け簀はみんなマグロだ。このほうがまだ収入になる。けれども政府は、北海道など北の方の漁獲高が多くなったからといって、こっちの漁獲量を制限してきている。これではとても儲からない。だから貧乏になって韓国資本も入ってくるんだ。」

とのこと。観光と安全保障と漁業、みんなつながっているのだと感じました。

知る人ぞ知る「美女塚山荘」

今回の旅行にあたって美女塚山荘という宿泊施設を、あるFacebook友達の方から紹介いただきました。既にホテルを予約した後だったので残念ながら宿泊はできませんでしたが、次回の下見のつもりで場所だけ確認することにしました。

美女塚山荘は、対馬最南端の豆酘崎(つつざき)にあります。海岸から登った山の中にあり、周辺の様子は本土の山荘とよく似ています。


↑ 山の中にある美女塚山荘(左)。温かいおもてなしで有名だそうです。

私が行ったときは、ウグイスが出迎えてくれました。対馬は海も山も楽しめる島なんです。厳原から30分ちょっとかかり、中心部や北部へのアクセスはあまり良くはありませんが、おいしいお食事のほか、お店の方が朝方に周辺を無料で案内してくれるサービスもあります。

1人で泊まるよりも2人や3人で泊まった方が割安のようなので、次回はゴミ拾いツアーを組んで、こちらでお世話になろうかな。

美女塚山荘の詳細はコチラ

ゴミ拾い終了。市役所の職員さんが温かく迎えてくれました。

美女塚山荘の場所を確認した頃には辺りは少しづつ暗くなってきてしまいました。車を引き返して、厳原に帰る途中の海岸を探したところ、久根浜という小さな集落と漁港がありました。

その港のとなりの浜に、びっしりとゴミが溜まっていて、昨日と同様にびっくり。ハンパじゃありません。


↑ 市では年間10,000立法メートルも処理しています。

16袋をいっぱいにしたところで、外が真っ暗になりました。急いで帰らなくちゃ。

市役所に着いたのは20時前。こんな遅い時間にもかかわらず、昨日から御世話になっている川上さん、阿比留さんのほか、環境政策課のみなさんが出てきて下さって、私のゴミを運んでくれました。

課長補佐の阿比留さんは、こうしたゴミを市では年間10,000立方メートルも処分していることや、韓国の子供たちを招いて日韓両国の子供たちがいっしょになってゴミ拾いをしたり、そのあとでワークショップ(研究集会)を毎年開いていることなどを教えていただきました。

ゴミの量と質は、その国の経済発展と深く関わっていて、東南アジア諸国からの漁具などは、以前は木や竹製だったものが、ここ最近はプラスチック製のものが流れ着くようになってきているといった話もしてくれました。

この問題は、対馬だけでなく日本海側の海岸線に住んでいる方々が共通に抱えている問題でしょうし、また韓国のことがクローズアップされますが、他の国のゴミも増えていて、日本国内のゴミも非常に多いです。

そして日本のゴミも、北も南も西から東まで、太平洋のあちこちに流れ着いて迷惑を掛けていると思われます。だからこそ、自分たちの問題として取り組まなくてはならないと思いました。

以上、長々と書いてしまいましたが、これで対馬旅行記を終わりとします。
ご一読いただき、ありがとうございました。

ぜひともみなさん、対馬を訪れて下さい😊




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