もうひとつの慰安婦問題の真相が明らかに|会報30年9月号2


▲米「ライフ」に掲載された、丸刈りにされ引き回される仏女性=1944年8月、ロバート・キャパ撮影

「もうひとつの慰安婦問題の真相が明らかに」

 慰安婦問題が出てからこの方、たった一つの実例としてオランダ領インドネシアの事件が取りあげられてきました。

 けれどもこの事件がどういうものだったのか、軍の強制があった派にもなかった派にも正確に事実を語れる人はいなかったと思います。

それがようやく今年二〇一八年四月、芙蓉書房出版から「スマラン慰安所事件の真実」という本が出版されました。

敗戦そして逮捕、銃殺と悲惨な出来事であるはずなのに著者が爽快な人物であったので、読み終えることが出来ました。この場でその内容をご紹介しようと思います。

 事件のあらましはこうです。昭和十八年陸軍はスマランに幹部候補生教育隊を設置、昭和十九年、スマラン州庁と現地軍上層部の間で抑留オランダ女性の希望者を募って慰安所の設置を決める。

軍の指導監督で三月一日慰安所を開業。当初三十六名の希望者で営業を始めたが、数人のやめたいと申し出る女性が出てきたため東京の陸軍省が四月下旬に閉鎖を命令しました。

 戦後のオランダ軍の戦犯法廷では医官を含む軍人六名と業者四名が有期刑となり、岡田少佐一人が銃殺刑となりました。

 この「スマラン慰安所事件の真実」はこの岡田少佐が死刑囚の独房で書いた自伝のうち、昭和一七年以降の部分です。

読む前は自分の人生を狂わせてしまった事件への恨みつらみ、あるいは弁解が書かれているものと探り読みをしましたが、書かれているのは唯々自分が何をなしてきたかという、なんの虚飾もない記録でした。

慰安所事件についても他の記事と比べて詳しく書いてあるということもなく、自分が見、聞いたことをありのまま記録したものでした。

半世紀以上たって、自分の訴因が世界の大事件になるとも思わず、ただインドネシアを支配したオランダ人が、憎き日本人を一人でも多く銃殺する理由の一つにしたのだろうという達観があるのみでした。

 これまでも戦犯の手記や遺書を読んできましたが「どうせ戦場で捨てた命」「恨むよりも心穏やかに死のう」「先に行った戦友に靖国で会おう」という、死を素直に受け入れるものが殆んどでした。多くの戦犯日本人は従容として死に就(つ)いたのです。

 日本人の私には、彼らは天に恥じないからこそ抗弁しなかったのだということがよくわかるのですが、英米人や他国の人々には全く理解のできない事かもしれないと思っています。

南京虐殺の罪を問われた松井大将は供述調書で、責任は自分にあると言いながら事件については何も知らない、反論もしないと言っています。

日本人らしいいらえですが、これが却って松井大将は卑怯者だという印象を東京裁判の判事たちに与えてしまいました。それに引き換え東条英機大将は堂々と日本は生存のためにやむなく開戦したのだと供述しています。

これを一部の日本人は命惜しさの卑怯な振舞いと感じたようですが、今となっては当時の日本の置かれた状況を正確に述べた一級の証言となっています。

 話しがそれてしまいましたが、岡田少佐は敗戦後、兵の復員に力を尽くし、自らも郷里の妻子の下に帰ることが出来ました。

そして持ち前の積極性と軍隊時代の人脈を使い、仕事のない復員兵のために事業を始めます。それが軌道に乗り不自由ない生活ができた矢先、戦犯容疑でインドネシアに送られてしまいます。

 スマランでは慰安所関係者に対する取調官の暴行、脅迫がなされていました。これについて岡田は裁判官に訴えもし、裁判官は了解しているようでした。先に逮捕されていた岡田少佐の上官などが死刑を逃れようと罪を岡田になすりつけ、証言の矛盾が出てきます。

また慰安婦に自ら応募したオランダ女性たちには当時就業規則を定め、承諾書にサインをさせていましたが、戦争法廷の取り調べに対しすべて強制されたと証言していました。このことは岡田少佐には全くの驚きでした。けれども現在の我々はその理由はわかりすぎるほど明確です。

一九四四年フランスがドイツの占領から解放されると、ドイツ人と通じていたとされるフランス女性およそ二万人が公衆の罵倒と嘲弄の中で頭を坊主にされていきます。ロバート・キャパも写真を撮っています。(表紙参照 一九四四年八月撮影 米雑誌ライフに掲載)

それともう一国、フランスほど知られていませんが、同様残酷な振舞いをしたのが次の写真に示す一九四五年のオランダなのです。

 

 
 もっとも残忍な植民地支配をしたといわれ、差別感情が強かったオランダ人が、日本人と通じた自国女性をどう処するか、この写真を見れば自明のことでしょう。

 岡田少佐は昭和二十三年十一月銃殺されますが、本書および本書巻末の妻子宛ての遺書に見る如く、多くの人に愛され、精いっぱい信じる道を生きた人でした。




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