「時代による戦争観」|会報30年9月号
「時代による戦争観」
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は今、北朝鮮との戦争終結宣言を出そうと必死になっています。九月五日には北朝鮮に特使団を派遣し、何一つ成果がなかったにもかかわらず大成功であったと絶賛しています。
文大統領の元々の目的が南北統一にあるので、戦争終結宣言によって対話路線への変換、そして制裁解除へと持って行こうというのでしょう。
それ以前にあきれ返るのは三日にソウルで行われたセミナーで文大統領の外交ブレーンとして知られる文正仁・統一外交安保特別補佐官が「撤回もできるからアメリカは終戦宣言をすべき」と米側の歩み寄りを求めた(楽韓ウエブ9月3日)ことです。
全世界に発信する宣言を「口約束」にして破ってもいいからと堂々と勧める意識。国民性というのは李氏朝鮮の国王時代から現代の大統領府にいたるまで、変わらないのだなと改めて感じました。
思えば日清戦争の後、朝鮮国王がロシアに頼らず独立国の自負を持ってくれたら日露戦争も起こらなかったし、満州の利権が日本に転がり込んで苦労することもなかったかもしれません。
保守の会では十一月の九日金曜日から十一日日曜日まで御殿場線長泉町駅前のコミュニティながいずみで「日本はなぜ戦争をしなければならなかったのか」をテーマにパネル展を開催します。最新の知見を盛り込んだ納得のいくパネルができたのでたくさんの方に来ていただき意見交換ができればと思っています。
今日、会員がパネル展の宣伝動画を作ってくれました。「なぜ戦争が起こったのかを小学生に伝える」という設定だったのですが、それを見ながら戦争観の様変わりした若い人たちに当時の人々の心情を知ってもらうことは大変なことだと感じました。
なにしろ「戦争は考えてもいけない」「非武装なら攻撃されない、武装すれば戦争になる」と思っている人が現実にいるのですから。
今回のパネル展では朝鮮の開国から日米開戦にいたるまでの経緯を説明します。私たちは先の戦争に行かれた方々の話も聞いていますし、この期間の戦争についてはかろうじてひとくくりの戦争観で説明できます。多くの国が国民国家となって行く過程で徴兵制があり、そして国家の力を総動員した総力戦となっていったこと。もう一つは国益のための戦争だった、つまりお金のために戦争を起こした人たちがいたということす。
最近では戦争も経済で語ることがはやりです。スペインの無敵艦隊が没落したのも、織田信長が長篠で勝利できたのも資力の問題であったというのは、おおいに首肯できる説です。
けれどもはっきり富を求めて国家(資本家や政治家)が戦争を始めるようになったのはアメリカの南北戦争以降だと思います。南北戦争とは、安い関税のもとイギリス・欧州に綿花を売りたい南部諸州に対し、高関税により機械産業を保護したい北部諸州が奴隷制度を口実に(北部でも奴隷制度のある州がありました)仕掛けた戦争でした。これは明治初年ごろの出来事です。
それに対し同時期の日本の「征韓論」は度重なる朝鮮の無礼を問いただす、あるいは朝鮮が戦争を辞さないのなら(朝鮮に渡った西郷を切るなら)戦端を開こうというものでした。二十一世紀の日本人はそんなことで戦争なんてするのと思うでしょうし、左翼は日本が朝鮮を侵略しようとしたのだと言うのですが、それが当時の日本人の当然至極の感覚だったのです。
孔子が政治のあるべき姿を示すために作った歴史書「春秋」では無礼を働く国があれば必ず復讐の兵をあげます。けれども大抵は戦うだけで領土を奪うところまではいきません。
そして孔子自身が君主に戦争を進言する場面は「論語」にも出てきます。また明治九年の新風連の乱、十年の西南戦争では、武士の意地を見せるため抜刀隊を組織して戦いました。
もちろん勝利は目指したのでしょうが、戦うためにこそ戦ったのです。(西南戦争では銃砲も使いましたが、「政府に尋問の筋これあり」という一点のためだけに万死を賭したのです)
当時の治療を受けた人々の写真を防衛庁(現防衛省)の研究所で見たことがあります。切られて骨が折れた侍たちが皆笑い顔です。「なんですか、これは」と聞くと、当時の人達はよわい顔を見せたがらないので皆が皆、くしゃくしゃの笑い顔になったということでした。
戦争が深刻化していく中で兵隊や軍人の意識も変化していきます。日清戦争時と日露戦争時、大東亜戦争の初期と終わりではちがいます。軽々に当時の苦労された人々の意識をこうだと決めつけるのはやめていただきたいものです。
以前「あなうれし」という軍歌を聞いたことがありました。正しい題名は「凱旋」、日清戦争の始まる三年前に作られた曲です。何が驚いたかといってあまりに美しく喜びに満ちた曲なのです。
一.あなうれし 喜ばし 戦い勝ちぬ
百千(ももちぢ)の敵(あだ)はみな 跡なくなりぬ
あなうれし 喜ばし この勝ち軍(いくさ)
いざ歌え いざ祝え この勝ち軍(いくさ)
二.敵(あだ)はみな 跡もなく 攻め亡ぼしぬ
心地よや 心地よや この勝ち軍(いくさ)
以下四まで略
調子よく歌いやすい曲で、日清戦争後には大ヒットとなりました。女児の合唱バージョンがお薦めですが、あまりに楽天的で、将来にわたる敵国での駐屯、あるいは報復、謀略、国際関係、いっさいを考えていないのです。戦いが終わったから何の心配はいらないねという気持ちのおおらかさ。
戦後七十年、戦乱は遠くに去って、世界の情勢がどうあろうと我々はすっかり安心して生きています。
だからといって「私たちに戦争は関係ありません」というのはあまりにも無責任、おおらかすぎるのではないでしょうか。
Tweet投稿日: 2018年9月15日 土曜日