「日本人を危険に導く外務省の不作為」|会報30年10月号

「日本人を危険に導く外務省の不作為」

 九月一日の動画なので旧聞となってしまいましたが示唆に富む素晴らしい話であったので皆さんに紹介します。

「夢を紡いで」と云う中山恭子さんの番組で山岡鉄秀さんが語った話です。山岡さんはオーストラリアで、向こうの反日団体が慰安婦像を設置しようとしたものを撤回に追い込むことに成功した方です。

山岡さんによると、日本人は議論をする時どうしても相手に判ってもらおうとしてしまう、相手に納得してもらうために本能的に譲歩したり相手の言い分を聞いて説得しようとする。

けれども相手の言ったことを反論するというパターンを続けることは常に相手の土俵にいることになる、常に相手がリードする立場になってしまうと指摘しています。

「外務省の議論を見ていると、相手の顔色を見ていることが多い、そういうスタンスで行ったらどこまでもこちらが譲歩することになってしまう。

 あいての反日団体が吉田清治の話はどうも嘘だったんではないかと判ってきた、だからといって『嘘だったんだね、じゃあ解決だね』とはならない。今度は話をずらして『強制連行があったかどうかは重要ではない。女性たちの置かれた状況が重要なんだ』となってくる。

 自分がそこにいたなら『強制連行はなかったと、あなたは認めるのですね』と必ず言質(げんち)を取ります。

 ところが日本の外交官は何と言ったかというと
『最近は潮流が変わって来て、必ずしも強制連行にはフォーカスしていない』『日本の皆さん、もう強制連行があったかなかったは必ずしも重要じゃないです』これでは議論に負けてしまいます」

 外務省の役人の事なかれ主義、彼らは仕事をしたくないのか、何が国益かを知らないのでしょう。ここまでが山岡さんの話で、中山恭子さんも自身の国際舞台での失敗談を話してくださっていました。なかなか有意義な番組でしたので是非ユーチューブで見てください。

 さて日本の大正時代はマスコミが政府批判を煽り、ポピュリストが幅を利かす時代でした。一九一四年日本は第一次大戦でドイツが租借する中華民国のチンタオを攻撃占領します。このため第一次世界大戦が終了するまで日本がチンタオを管理統治しなければなりませんでした。

当時大陸では中国内戦のあおりで何人もの日本人が中国人の襲撃、暴行を受けていたため対中感情が悪化していました。そこで国民世論に迎合した加藤高明外相、大隈重信首相は袁世凱に対し五月九日を期限に、過大な要求をします。これが対華二一カ条要求です。山縣有朋の元老院にも諮らず、現地の公使の反対を押し切っての要求でした。

 ここには満州権益の延長、ドイツの権益の継承と当然の要求のほかに、政策に日本人顧問の採用、日本人警察官の採用、鉄道・鉱山開発には日本と協議するなどという途方もないものが含まれていました。

これには日本の行動を非難しようとする米国に格好の口実を与え、中国人の反日感情を燃え上がらせる格好の火種となりました。日本人顧問の採用など最初から実行されませんでしたが、五月九日は国恥記念日と呼ばれ、反日プロパガンダにまんまと利用されていったのです。

 これより二四年後、一九三八年の五月九日アメリカニューヨークでは二万人の中国人が集まり最大規模の反日デモが行われます。このころ中国大陸では日本人婦女子が残虐な方法をもって虐殺されていますが(通州事件)このニューヨークのデモではボーイスカウトが「日本人は怪物、冷血な殺人者だ」と書いたプラカードを掲げています。

これに対し日本の外務省は何の反論もしてはいません。何千何万のアメリカ人が反論しない日本人に憎しみの感情を持ったでしょうし、後の戦争でひどい惨禍にあわされたのは外務省の無策の為だったのではと思います。

そしてこれは過去の事ではありません。現在も続々と慰安婦像が立てられ、カリフォルニアのいくつかの学校では、日本人は歴史上残虐な行為をしてきたと教育されているそうです。そしてやっぱり外務省はそれを阻止しようとしていない。

 海外で日本人子弟がいじめられているという話を聞きます。翻訳サイトで、韓国人が日本人を激しく罵っているのを読んだオーストラリア人が、韓国に日本は酷いことをしたのだから当然だと書き込んでいるのを見たこともあります。いつかもっと恐ろしいことが起こるかもしれません。

追記

対華二一カ条の記事は最初2015年の米国のウエブページで見つけました。最近のウエブページに載るほどの反日運動を引き起こした対華二一カ条要求の重大性を日本人は知らされていません。なにか理由があるのかと思うほどです。最近NHKの「知恵泉」という番組では大隈重信が、国民に愛されようと努力し、もっとも愛された政治家であったと絶賛していました。

一枚目写真
https://history.howstuffworks.com/history-vs-myth/japanese-internment-camp3.htm
収容所からシアトルの家に戻ることができた日本人家族1945年5月

二枚目以降
https://www.vintag.es/2015/01/black-and-white-photographs-of-chinese.html
1938年ニューヨークでの反日デモ




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