静岡保守の会|会報2月号(2018年)

静岡保守の会|会報02月号(2018年)


既報のごとく、一月の静岡連隊墓地清掃は大成功に終わり、参加者からまた参加したいという声がたくさん上がりました。

そこで今日は、静岡連隊全滅に瀕した当日を歌った軍歌「橘中佐」について書きたいと思います。

『遼陽城頭 夜はたけて ありあけ月の 影すごく
霧立ち込むる高粱(こうりょう)の うちなる塹壕 声絶えて
目覚めがちなる敵兵の 肝(きも)驚かす秋の風』
を一番として全三十二番まである歌は、結構カラオケなどで聴く有名な曲です。

軍歌の常として、総攻撃の命下り、攻撃、死闘、敵陣地の占領、被弾、また被弾、さらに落命までの様子を絵巻に見るように歌ったもので、橘中佐戦死直後に作詩作曲されました。

この歌は中佐にゆかりのある大正天皇にも加納され、静岡三十四連隊の隊歌ともなりました。

日本の軍歌は、徴兵で集まった、歌うことに関しては粒ぞろいとは言えない兵士たちが誰でも歌えるような構成になっていました。

音痴の兵隊であっても、隊長の命令一下、一緒に歌えなければいけません。

だから いまでもお年寄りや酔っ払いが気持ちよく歌えるわけです。

この「橘中佐」にはもう一曲同じ題名の歌があります。初めて聞いたのは、次の森繁久彌の歌でした。

ユーチューブで見つけました。

『 (一)屍(かばね)は積もりて 山を築(つ)き
血潮は流れて川をなす
修羅の巷(ちまた)か シャオンズイ
雲間(くもま)を洩(も)るる 月青し
(二)味方はおおかた 討たれたり
しばらくここをと諫(いさ)むれど
恥を思えや つわものよ 死すべき時は 今なるぞ
(三)御国(みくに)のためなり 陸軍の
名誉のためぞと 諭(さと)したる
言葉なかばに散りはてし 
花橘(はなたちばな)ぞ かぐわしき 』

こちらの「橘中佐」は戦死八年後の大正元年の小学唱歌だそうで、このような暗く悲しい曲を小学生がどんな顔をして歌ったのだろうか、百六年後の私たちには想像しにくいものがあります。

森繁久彌の歌は心に染み入るものでしたが、戦前を知る団塊ひと世代前の森繁さんには懐かしい歌であったのでしょうか。

こちらの「橘中佐」を久しぶりに聞いてみようと、ユーチューブで検索してみましたが、もう見つけられませんでした。




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