静岡保守の会|会報30年6月号

 最近「トンイ」という韓流時代劇を見てすっかりはまってしまいました。当時李氏朝鮮の時代に貨幣の流通や色彩豊かな染料が無いことを知っていても「グインサーガ」のようなファンタジーとして、反地球・別世界の事として鑑賞すれば、素直でない人間でも楽しめるわけです。

 あらすじは嘘と嫉妬、陰謀にまみれた社会で「トンイ」という誠実な女性が知恵と勇気によってピンチを切り抜けていく、そして朝廷に入り、女官になって・・・という話です。誠実な人間が成功してもらいたい、というのがどこの国でも同じ事に思いが至りました。

 日本の社会で成功するには、誠実であることが一番簡単な近道であることは殆どの人が同意できると思います。特殊な例もあるでしょうが、誠実でなければ尊敬はされないでしょうし、強運が長く続くとは思えません。

 韓国ではどうか。時代劇と同様に、現代でも上の立場になれば下の者に何をしてもかまわない。ナッツ姫や財閥トップを許せないと批判するけれども自分が上になれば同じことをして疑わない。(トンイの中でも「自分が上になったら同じことをやってやるうー」と叫んでいました)

だから常に自分と相手とどちらが上か比較する。相手が下であればけして反論は許さない。だから葛藤が絶えないし、何としてでも他者を引きずりおろそうとする。

朴槿恵大統領が気に入らないと群衆がロウソクを灯し、法律を捻じ曲げ実刑にしてしまいました。サッカーの審判が気に入らない、懲戒しろと大統領府に何万もの請願が届きます。身を守り、身内を守るためには嘘をつくのも仕方がない。(2000年に偽証罪で起訴された件数が日本の数百倍、誣告罪では四千倍とか)互いに虚言を弄し、声の大きい方がまかり通る。そういう社会ですから理をつくしても話し合いにならない。

 「トンイ」の中でも宮廷の重臣たちが声を合わせて「王さま」「王さま」と異を唱える。そうなると国王でさえ何もできない。

 ここで今、日本が韓国より優(まさ)っていると言っているのではありません。国柄によって人のとる行動も考えも違ってくるのです。

 たぶん韓国人は日本人がお世辞を言って褒めたり、或いは謙遜したりするのを見て「日本人は誠実ではない」と思っています。お世辞を真に受け、謙遜すればその通り下に見下す。

 日本は朝鮮にひどいことをした、だから誇張して日本を非難しても良い、そう考えているふしもあります。その都度「それは違うよ」と言ってあげなければ、韓国人からしても誠実でない対応になるのではないでしょうか。

 今回は「トンイ」の話でした。教訓めいた話ではなく、素晴らしい傑作だなあと感心しながらビデオを見ています。日本のドラマの何倍も面白い。日本のドラマは自己規制が多すぎるのではないか。差別的な表現がないかとか、不快感を与えない様にとか、そんな配慮に日本人製作者が取り込められている気がします。

それにひきかえ明治時代のたとえば尾崎紅葉の「金色夜叉」など、俗臭紛々で、言葉に毒があって、けれどもさっぱりしていて面白かった。韓流ドラマにもそんな勢いがあります。

 「トンイ」の中で、家臣から王さまに手紙が届きます。手紙の冒頭、漢字で「殿下」と書かれているのが分かりました。実は朝鮮王朝の国王は「陛下」ではなく「国王殿下」なのです。劇中、カラフルな化学染料の衣装が出てきたりして一言も二言もいいたくなりますが、こんなところはちゃんと考証がされているのだと思いました。

ビデオの日本語訳では臣下が「王さま」と呼ぶのですが、原語では「殿下」と呼んでいるのかもしれません。殿下と呼んでいるのを勝手に陛下と言い換えるのはさすがに日本語訳者も躊躇したのでしょう。




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