「上皇陛下」|会報 令和元年5月号
つつがなく新時代、令和が迎えられてほっとしています。多くの国民が素直に新天皇即位を祝い、テレビのコメンテーター達も無粋な物言いをしにくかったようです。
アナウンサーたちは尽く、皇后陛下、上皇陛下、皇太后陛下というべきところを、「皇后さま」「上皇さま」「上皇后さま」などとわざわざそれがさも正しい言葉遣いであるかのように使っていました。けれどもインタビューを受けた一般庶民は「皇后陛下」と却って正しい言葉使いをしていました。
有識者と呼ばれる、マスコミ御用の先生方は心の深層で「日本文化尊重」を、禁忌(なんとなく悪い事)としてきた方たちのようです。
こういった方々によって、日本で七世紀以来使われてきた譲位という言葉をなんの理由があってか「退位」などと改めてしまいました。「退位」といえば敗戦の責任を取らされ、国外に逃亡したドイツ皇帝やイタリア国王に使われた言葉です。
また「上皇后」などという言葉も畏れを知らない者によって、初めて作られた言葉です。「皇太后」が正しい言葉です。産経新聞に女系天皇を推進していた元宮内庁長官が「上皇さま」と題し寄稿していましたが、文中なんども「上皇さま」を繰り返していました。
ただしく上皇陛下と呼称すれば、文中すべて「陛下」一語で足りるのにです。一般の人が、私的に「天皇さま」「上皇さま」と呼ぶのに何の文句もありません。けれども公(おおやけ)の場所で元官僚がわざわざ不規則な言葉を用いることには、はなはだ不快な意図を感じます。
また同じく産経新聞に女性皇族の活躍を期待する寄稿がありました。もやもやする文章でしたが、なかに「イギリス王室」が皇室の理想(目標)のように書かれていました。
この人の頭の中では「イギリス王室」が理想なのでしょうが、皇室を崇敬する日本人はイギリス王室が手本だとは考えていないでしょう。日英は歴史も成り立ちも制度も風俗も物の考え方も違い、ここに根差した皇室とイギリス王室とは全く違うものです。これが「有識者」の程度です。
大戦後すぐに、教科書にも出てくる国民作家・志賀直哉の「日本語を廃止して世界で一番いいフランス語を国語にしよう」という意見が出されました。志賀は十年以上本気でこの意見を発信し続けました。
明治時代の初代文部大臣の森有礼(もりありのり)も日本語の廃止と英語の採用を提言していました。どちらも荒唐無稽なはなしですが、頭脳優秀な人たちが本気でこれほど馬鹿げたことを考えるということには、どうしたらいいのか頭を抱えてしまいます。
ただ上皇という制度自体は新しい事ではありません。史上、北朝の五名を含めて百二十八名の天皇がいらっしゃいますが、今上上皇を合わせ六十一名の上皇があらせられます。実にお二人にひとりは譲位され上皇となられています。
上皇あるいは院政(天皇をさしおいて上皇が実権を振るった政治)というと国体を衰亡の危機にまで導いた白河、鳥羽、後白河の三上皇を思い浮かべますが、英邁な天皇があって、あるいは政治機構が整えられた時代にあっては天皇が上皇より上位というきまりが守られてきました。令和の時代はそういった御代になると思います。
五月十一日十二日、磐田市内「ワークピア磐田」においてパネル展
「日本はなぜ戦争をしなければならなかったのか」を開催しました。女子中学生が七人ほど勉強させてくださいと言って来ました。説明をしていくとみんな日露戦争の年号を暗記していたり、一所懸命かつ楽しく勉強していることがわかりました。
で、日朝修好条規のパネルに移った途端「あ、不平等条約のやつだ」とみんなが言うのです。そこで「不平等のための条約ではないよ。ほら第一条にはわざわざ『朝鮮国は自主の国であり、日本国と平等の権利を保有するものである』と書かれているでしょ」と言うとみんな混乱しています。
「それでは不平等っていうのはどんなことがあるの」と聞くと「ええっ、なんかあったかな、そういえばわからない」と答えてくれました。
学校で「日露戦争は?」「はい、1904年」
「日朝修好条規とは?」「はい、不平等条約」
と教わってきた子供たちに、歴史の実相を教えることは、これは大変な難事だなと思い知らされました。きっと大人も同じくらいの知識かもしれない。すこしパネル展を修正して、超簡単なパネルも並べなければと思いました。
投稿日: 2019年5月17日 金曜日